航空日誌(日々の記録やイベント情報など)
ハーポ部長『アマゾン始末記』出張イベント
「アマゾンの呪術とアジアの秘術」
2024 9.27(金) 18:00~21:00
入場料 ¥1500
定員 30名
ご予約は店頭、もしくはkisuikuko@gmail.comまで
東京下北沢のブックカフェ気流舎のメンバー、ハーポ部長によるペルーでの
シャーマンによる植物療法の記録『アマゾン始末記』の出張イベントです。
ゲストは、汽水空港の近くで気功治療院を営む中原勇一氏。
カスタネダのフィールドノートを素材とした真木悠介『気流の鳴る音』に導かれ、
アルトーが果たせなかった幻覚植物での心身治療を目指し、南米アマゾンまで
たどり着いたブッキッシュな精神世界素人ハーポ部長。
かたや、幼少時に真言密教や大乗仏教に関心を持ち、青年期に中沢新一の影響でロンチェンパ
の瞑想に出会い、さらには、それを制御するため中国気功法と道教に出会った中原氏。
その道程がそのまま東洋の身体技法あるいは精神世界の見本市のよう。しかも、極めつけは
インドネシア魔術!
ということで、第一部はハーポ部長による写真と映像によるアマゾン呪術、植物療法レポート。
第二部は、中原氏による(東&東南)アジアの秘術トーク。スピらずにスピる店主モリくん
も交えて、参加者のみなさんと交流できたらと思っています。(ハーポ部長)
<プロフィール>
ハーポ部長
下北沢のブックカフェ気流舎の共同運営メンバー。イベントをよくやっている。
雑誌『スペクテイター』などカルチャー誌や人文系書籍に執筆したり、仲間とやっているRLLというグループで
思想&運動系のTシャツを作ったり(今年は久々の新作あり)、ハーポプロダクション名義でZineを作ったり、
文化工作をしている。初の単著『アマゾン始末記』(2023年、ヒビノクラシ出版)を執筆・編集。元「文藝」編集長から「名著」
と絶賛され、人類学者デヴィッド・グレーバーの訳者からは「奇書」として面白がられるも、気流舎メンバーの一部からは「禁書」
扱いされている。
中原勇一
1994年、神戸大学経済学部卒業。専攻は比較経済システム論・文化人類学・精神分析学・構造主義・記号論・比較宗教学。
1999年、『無為気功養生会』(横浜)に参加して、廖赤虹老師より「馬氏気功点穴法」、劉永言老師・廖赤陽老師より嵩山少林寺一子相伝と伝えられる「一指禅功」の指導を受ける。武当山・黄山・崋山・西安各地にて研鑽を積む。
2001年、免許皆伝を経て『やわらぎ気功クリニック』を設立、医療気功法の施術・指導を開始。
2011年、インドネシア・バンドンのGuru Ayuの元で、インドネシア魔術(Ilmu Baik)の一派であるJala Kejawen及びSunda Wiwitanの修練を開始。
2023年、Kejawenの研究と実践を行う『日本クジャウェン協会(Japan Kejawen Association)』を設立。
2024-08-29 11:34:32
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2024-06-22 17:55:33
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https://note.com/kisuikuko/n/ncd18c7c81105
今回のツアーは、ダニーさんの自宅から始まった。前日にダニーさんの家で宿泊したのは、鳥取から来た僕と、水俣から来たせきねベイベーさんだった。夕暮れ時、庭先でかほるさんも交えて様々なことを語り合った。
せきねベイベーさんは5月1日に行われた水俣病患者団体と環境省との懇談会で、環境省がマイクの音声を切ったことが問題になっていることを話した。「患者とコミュニケーションを図りましたという証明」をする為だけに行われるような懇談会の話しを聞きながら、人間のことを軽く見ているのだろうと感じた。ダニーさんは20代の頃に従事したウラン採掘のバイトの話しをしてくれた。ウラン採掘で被爆することなど知らされることなく働いたその経験を振り返り、「人の命なんてどうでもいいと思われている。」と語った。この社会のあちこちに「あなたのことはどうでもいい」という、冷たい声が沈んでいる。国の為なら、経済の為なら、会社の為なら、電気の為なら、あなたの犠牲は仕方がない。あなたの生活はどうでもいい。あなたの存在はどうでもいい。この声の存在を常に意識し続けたツアーだったように思う。そしてそれは、ツアーから帰ったあとも引き続き考え、意識し続けている。
初めて訪れた福島県の浜通りは、5月の陽光に満ちていて、若々しい緑色の草木が光を帯び、空はどこまでも高く、とても美しかった。バスの車内でガイドをしてくれた今野さんは、新たな施設の前を通る度に「ここでも縄文遺跡が発掘されて工事が中断されました。」と教えてくれた。まだ国も県も無い遥か昔、心地の良い場所を求めて移動した縄文人がこの地で暮らすことを選んだことに納得した。豊かな山があり、海があり、生命を祝福するかのような陽の光に満ちている。悲しいことに、僕の目には映像で見た津波が襲いかかってきた3月11日の風景、黒い津波と灰色がかった空が焼き付いてしまっており、その映像がそのまま福島県のイメージとしてこびりついてしまっていた。実際に訪れてみて、その印象は覆された。3月11日以前の、ある日の請戸小学校の窓から見える風景写真は、松林の向こうで穏やかに波打つ太平洋を写していた。その窓から、ここにかつて当たり前にあった小学生たちの日常、親たちの暮らしが見えてくるようだった。キラキラと光を反射する雄大な海を眺めながら通う小学生たちの姿。だが美しい風景やかつて当たり前にあった暮らしが透けて見えてくればくるほど、埋め尽くされたフレコンバッグと「帰還困難区域」と記された看板の存在も重さを増し、目の前に突きつけられるようだった。「おれたちの伝承館」に展示されていた絶景スポットと呼ばれる海岸の写真、その海岸で泳ぐことも今は出来ないのだろう。僕の妻が生まれ育った島根県島根町の美しい海と、そこから肉眼で確認することのできる島根原発。「おれたちの伝承館」に飾られた絶景スポットの写真は、避けられるべき、だがいつか訪れるかもしれない島根町の未来を写しているようだった。
放射能で汚染された土地は、除染ができる。滞在した施設おおくまーとの敷地内も線量は低かった。しかし施設の外の林の中は相変わらず高い線量だったという。除染作業は土を入れ替えるということだ。土を入れ替えるには、既存の建物はもちろん、そこに生えている木も切り倒し、一度更地の状態にする必要がある。高線量の全ての森林エリアを除染することは可能なのだろうか。木は土地の記憶でもある。人の寿命を超えて存在してきた木を媒介にして想起されるもの、それも間違いなく人を支える重要な要素だ。縄文時代から人が暮らしてきたその場所、その歴史が断ち切られてしまうということ。そんな土地を、この島にあと幾つつくれば日本は満足するのだろうか。
僕自身は13年前の3月11日、栃木の農業学校でボランティアスタッフをしていた。有機農業を学びながら、祝島の上関原発反対運動を友人らと注目していたこともあり、チェルノブイリ原発事故についても調べていた。震度6強の地震に見舞われた栃木は、福島原発から100キロほどしか離れておらず、原発の情報に聞き耳を立てていた。そして案の定事故が起きてしまった。そこから避難と、本屋を開業する為の土地探しとが始まった。栃木から一度実家のある千葉へ行き、3月15日の夜に自転車で西日本へとアテもなく飛び出した。電車も止まり、クルマもない実家では、交通手段は自転車に限られた。「関東全域が住めなくなるかもしれない」という、これまでにないような凄まじい危機感を抱いて、母には「レンタカー借りたら迎えにくるから!」と伝えて家を出た。当然、友人たちにも避難を促した。そしてそのことによって何人もの人と衝突をしてしまった。ある人からは「自分はこれから重い障害を持つ子どもを産むことになるかもしれない。それでもここに残ると決めたんだ。逃げるあなたの身勝手を押し付けないでくれ。」と言われた。鳥取へ着いてからも、原発や放射能を話題にして、何人もの人と口論になった。やがて、口論をどれだけ繰り返しても、個人的な人間関係が悪化するばかりで、国や電力会社にはなんの影響力も持たないことに疲れてしまった。実家が千葉県にあり、鳥取で暮らす自分のような立場でさえこういう状況なのだから、福島県に暮らす人々/暮らしていた人々はどれだけ疲弊しているのだろうか。県外からガイガーカウンターを持ってやってくる人々にも辟易としているのではないか。原発と放射能を語ることと「風評被害」とが結び付けられてしまった世間の中で、自分が何か言葉を語ること、行動をすることは福島に暮らす人々にとって何の益ももたらさないばかりか、マイナスになるのではないか。そんなことを考えていた13年間だった。「今は物理的に離れたほうが良い」と色々な人に言ってきた自分が福島県を訪れること。そのことに対する後ろめたいような気持ちもあったし、「原発はやめたほうがいい」という気持ちを抱いて福島県を見て回ることは、暮らす人を自分の政治的な主張の為に利用してしまうことになるのではないか。様々なことを考え、ずっと行くことを躊躇していた。それでも、2011年3月11日のことを考えなかった日は今日まで一日も無い。福島原発から漏れる放射能は「ただちに影響はない」と繰り返し言葉にされた。「ただち」とは何時から何時までを指しているのか。僕の意識はずっと2011年に留まり続けている。原発事故が起きることも想定内だったということも後に分かった。今もまだ収束作業を終えることができていない状況の中で、未だに原発の是非を問うている。是非の結論は事故が起きた時点で出たはずだという、行き場のない答えも2011年に置き去りのままだ。
国は、土地や人間、動植物、命をどうでもいいものとして扱っているということを上辺だけの嘘で覆い続けている。3月11日から、嘘が社会の土台となって、そのうえで暮らし続けているように感じている。「嘘はバレても問題ない」という態度が政治の世界では常態化した。13年間のあいだに、国内外で様々な問題が日々起こり続け、解決されずにいる問題は土台の上にどんどん堆積され続け地層化している。そして地層の下に埋もれた問題は社会から忘れ去られる。嘘について言及されることもなくなる。地層の下に眠る問題を、自分の目でしっかりと見ないことには、意識を現在に持ってくることができない。ずっとそう思って暮らしてきた。
そしてダニーさんと出会い、13年間の逡巡を飛び越え、ようやく福島県へ行くことができた。不幸中の幸いにして、関東全域に人が暮らせなくなる状況にはならなかったし、福島県全域に人が暮らせなくなるという状況にもならなかった。しかし、原発付近の高速道路には温度計のように線量計が設置されており、放射能汚染を意識の外へ出して暮らすことはできないと感じた。南相馬で雑貨屋を営む方は、線量計を持ってこの地での暮らしを続けているそうだ。線量の高い場所、低い場所がまばらにある町の中で暮らすことの厳しさを想像した。少なくとも僕は、虫が大好きな2歳の息子とこの町で暮らすことはできないと思った。草むらや林の中を自由に遊ぶことができない場所では。そしてそう思うことも、この町で暮らすことを決めている人に伝えることなどできない。放射能は身体的な問題も、情緒的な問題も生んでしまう。様々な状況がある。原発が近くに見えるのに線量が低いエリアもあるし、遠く離れていても線量が高い場所もある。ツアーで移動するバスの車内では、線量の高い場所を通過する度にガイガーカウンターの音が鳴った。目に見えず、匂いもない、先刻通過した場所となんら変わらない風景でも、線量だけが数値を変える。体で実感できない数値の変化に意識を向けるのはうまく飲み込むことができない現象だと感じた。
双葉町で牛飼いとして暮らし、事故後ずっと埼玉で暮らし続けている鵜沼さん。死んでしまった牛たち。「おれたちの伝承館」では、取り残され白骨化した牛を再現した作品が展示されていた。飼い犬のライゾウを置いて避難せざるを得なかった少年の絵日記もあった。原発がなければ経験せずに済んだ悲しい出来事は、見るだけでも辛かった。何故、「せめて同じような出来事は繰り返さない」と宣言することができないのだろうか。鳥取へ帰り、店を訪れる人にライゾウと少年の絵日記の説明をしながら、僕は涙を抑えられなくなった。島根原発を動かそうとする人々、再稼働してもいいと考えている人々、一度みんなで「おれたちの伝承館」へ行こう。鵜沼さんの話しを聞こう。泣きながらそう思った。
13年間、様々な逡巡を抱えて、福島県へ行くことを躊躇していたが、僕は行くべきだと思った。ここで起きたこと、今もまだ避難生活が続いている人がいること、そのことをそれぞれの目で見て、話しを聞かないことには、これからの文化を考え始めることはできない。なによりも、ツアーを案内してくれた方々が多くの人々に起こっている出来事を伝えようと活動し続けていることをしっかりと受け止めたいと強く思った。声を発している人に耳を傾けること、自分の目で見つめること、それがまずなによりも大切なことだ。「あなたの存在はどうでもいいものなんかではない」ということを態度としてあらわすこと。そのはじまりが耳を傾けることだ。福島原発周辺へ自ら赴くことを、様々な理由から躊躇していたが、暮らす人への配慮は最大限に高めつつ、自分自身は拒絶されることへの覚悟ぐらい持とうと思った。能登半島へほうれん草を山積みにして向かった鵜沼さんの話しを聞いて、強くそう思った。ボランティアが来たら迷惑かもしれない、物資は十分に足りているかもしれない、そうやって悶々としていることよりも、実際に現地へ行き、ほうれん草を手渡した鵜沼さんの勇気。現地の人は「数ヶ月ぶりの生野菜だ」と泣いて喜んだそうだ。
「福島原発20キロ圏内ツアー」から帰った数日後、僕の店の前で「島根原発2号機の運転差止め」の為に活動していた方が演説をしていた。申請が却下された日の夕方だった。演説を間近で聞いていたのは僕と妻と息子の3人だけだった。演説を終えた顔は疲れ切っていたが、僕は島根原発をとめる為に店を通じて活動をしていく気持ちがあることを伝えた。「原発とめよう秩父人」の方々がお互いに繋がり、地道に活動を続けてきたこと、鵜沼さんや今野さんが起きた出来事を伝え続けていること、その粘り強さと元気を山陰でも伝えていくことが自分の仕事だと感じた瞬間だった。
13年間、一人で悶々としていた自分が実際に福島へ足を運ぶ機会を得ることができたのは、「原発とめよう秩父人」の方々が地道に活動を続けてこられたからで、本当に感謝しています。そして恐らく、自分と同じように悶々とし続けている人が山陰にもいるはずです。山陰でネットワークを築き、秩父の方々、福島の方々、全国の方々と繋がることができたらと願っています。
2024-05-31 19:07:51
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トークイベント
「農」と「コモン」 イギリス市民農園の歴史と汽水空港ターミナル2(食える公園)
6月2日(日) 18時~
参加費 ¥500
ゲスト 栢木清吾 (かやのきせいご)
果樹農家、翻訳家、大学非常勤講師。大阪の農園で、梅、びわ、桃、いちじく、林檎、みかん、レモン、アボカドなどの四季折々の果物と、アーティチョーク、コールラビ、パースニップ、ホースラディッシュなどの西洋野菜を栽培。訳書に『よい移民』『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』(いずれも創元社)などがある。
元耕作放棄地の畑を地道に開墾し、ここをある種のコモンスペース(公園)にすることを目的にちょっとずつ進めているプロジェクト、「汽水空港ターミナル2(食える公園)」の活動と、イギリスの市民農園の歴史とを重ねながら「農」と「コモン」を考えます。ゲストは自身も大阪で果樹農園を営む農家でもあり、イギリスの果樹園や市民農園の歴史に詳しい栢木清吾さん。
毎年増え続ける耕作放棄地や竹害などが増える山が身近にあるこの地で、どのような土地との関係を築いていけるかを共に考えていけたらと思います。
2024-05-28 12:46:08
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PPPP(ピンポンパンポン)
数年前からこコツコツと開墾している畑(湯梨浜町久見付近)をレンタルします。
これまでは「できている野菜は誰でもいくらでも無料で収穫していいですよ」と公言していました(その意図はこちら「モリのガジュマル」という記事に書いていますのでよければ読んでみてください)。
今年からはそのルールを変更し、「定めた区画を自由に無償で使えます」にします。
野生へ還ろうとする力が強い耕作放棄地ターミナル2を、今思い描いている最高の「食える公園」にするには、まずは人が通い、風を通し、町から続くひとつの道をつくる必要があると感じ始めました。
そう感じ始めたのは、去年、旅の途中で立ち寄った資料館で見た朝鮮通信使の記録を見たことがきっかけでした。
旅から帰って、僕はこんな投稿をインスタグラムにしていました。
"滋賀の東アジア交流ハウスで朝鮮通信使の大行列が通った場所を教わった。数千人規模の大行列が通った道には今もその名残りが文化となって残っている。
ということを知って、汽水空港ターミナル2(食える公園)をシェア農園にしようと思った。区画ごとに貸して(もちろん無償)、食い放題エリアとそうではないエリアとに分ける。狙いはターミナル2へと続く道に人と風が通ること。藪化した元梨畑であるターミナル2は1度や2度の草刈りごときではたちまち野生に還る。何度も人と風が通った場所は道になり、文化になる。という壮大な妄想。
ちゅうわけで、ターミナル2で畑やりたい人、気軽に声かけてください。農法は自由ですが、農薬と化学肥料は使わない方法でいきましょう。一区画は畝4つ分くらいかな。
畑をはじめる1番のハードルは多分、役場で地主の方を見つけたりというやりとり。それ無しでいきなり畑やれます。是非〜。
全体的な未来計画としては井戸掘り、畑のキッチンづくり、無人本屋、ツリーハウス、ブランコづくり等等がずっと前からモリテツヤの脳内に予定されています。ビジョンはもう見えている。きっと楽しい場所になる"2023年9月19日の投稿より。
去年の9月の投稿ですが、今もそのビジョンが見え続けています。まもなく春を迎える(もう迎えたのか?)今、種まきのシーズンがやってきました。
畑を借りるのも意外とハードルが高いし、耕作放棄地を畑に戻すのにもかなり時間とエネルギーを使いました。多分軽トラ20台分程のゴミ、鉄くず、謎の農薬を片付けて、ようやく今のターミナル2になりました。
色んな制約、地主の方とのやりとり、賃料など不要で、鍬と種さえ持ってきたら明日からでも畑をスタートできる環境が整ってます。是非皆さまお気軽に問い合わせください。
「賃料無しですが、その代わり◯◯をお願いします。」とか「タダで貸してるんだから◯◯」とか、そういった対価や情の絡まりを根底にした権力の行使をしないというのが、公園管理人である汽水空港側の課題として設定しています。ただ、お互いの楽しさによって、時には協働できたらいいなという理想を持ってはいます。さあさあ、畑をはじましょう~!
2024-03-19 11:46:04
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鹿児島で活躍するラッパー、泰尊さんが新作『薩摩キッド』をひっさげて汽水空港に着陸!
フードは鳥取市の食堂カルマ。
DJは
・DJ舟を編む
・ふか
・山だ
12時~19時までDJあり、フードあり、ライブありの入場自由なフリーな一日です。
皆様是非ご着陸ください!
(この日は店内イベント仕様にしていますので、少し本棚は見づらいですが、本も購入可能です。)
3月20日(水)
12時OPEN 19時CLOSE
入場無料
DJ陣、泰尊さんへの投げ銭(カンパ)&差し入れ大歓迎!
2024-03-04 14:12:53
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新刊『君はそれを認めたくないんだろう』認知会・鳥取編 ホホホ座山下賢ニのドキワクサイコロトーク&風博士ライブと「まのいいカレー」
2024年3月16日(土)
17:00開場 17:30スタート
入場料 ¥3000(カレー代込)
会場 汽水空港
ご予約 店頭もしくはkisuikuko@gmail.comまで
・風博士のライブ(生音)
・風博士がつくる「まのいいカレー」
・山下賢ニのドキワクサイコロトーク
・サイン会
ホホホ座の山下賢ニさんの新刊『君はそれを認めたくないんだろう』の発行記念トークです。
当日は山下さんの昔からの友人でありミュージシャン兼猟師兼カレー名人である風博士のライブとカレーもあります。
そして山下さんは出た目のテーマでお話するサイコロドキワクトークをしてもらいます。サイン会もあり。
みんな、ぜってえ来てくれよな!
ホホホ座浄土寺店 山下賢二
1972年、京都生まれ。2004年に「ガケ書房」をオープン。2015年4月1日、「ガケ書房」を移転・改名し「ホホホ座」をオープン。
著書に『君はそれを認めたくないんだろう』(トゥーヴァージンズ)、『ガケ書房の頃 完全版』(ちくま文庫)、『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと』(夏葉社)、『やましたくんはしゃべらない』(岩崎書店)、共著に『ホホホ座の反省文』(ミシマ社)、編著として『わたしがカフェをはじめた日。』(小学館)などがある。
風博士
歌う猟師、風博士。
2002年京都で歌い始め、色々あって現在鳥取県岩美町在住。築150年の古民家を改修しながら、自然から糧を得て、まのいいくらしを目指す「まのいいりょうし」を主催する。
ニューミュージックやフォークに基づいたメロディと、ブラジル音楽に影響を受け独自の進化を遂げた弾き語りスタイルは「軽快さと熱さ、都会的で土着的、叙情とクール、センスあふれるメロディとギターのバッキング」と評された。
まのいいカレー
まのいいカレーは、くくり罠猟で穫れたイノシシやシカをベースに、なるべく地産地消の材料を使ってつくる、シンプル故に重層的で奥深い味わいのさらっとしたスパイスカレーです。辛くないカレーで、お子様にも人気です。
2024-02-18 18:54:27
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PPPP(ピンポンパンポン)
アーティストで美術の先生である藤田美希子さんによる企画です。近所の高校生たちのzineを展示します。嬉しい〜!!
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
今週の土曜日から汽水空港で高校1年生が作った本の展示が始まります。
私が昨年から非常勤で教えている湯梨浜学園の生徒たちがひとりひとり自分でテーマを見つけて、はじめてのZINEづくりをしました。
授業では汽水空港で森さんの話を聞く機会があり「本は一冊一冊がひとりの人間みたいだ」というお話が制作のヒントになったように思います。
本づくりはもうひとりの自分を作るようなこと。
たくさん試行錯誤をしながら、生徒たちが自分に向き合い作り上げた本は、未熟でいびつではち切れそうな可能性に満ちています。
ものづくりの楽しさを思いださせてもらえるような15歳のエネルギーを浴びに、ぜひ汽水空港ギャラリーに遊びにいらしてください。
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『15歳のZINE』
会期: 12/9(土)-12/24(日) 12:00-19:00
定休日: 火・水・木
湯梨浜学園高等学校1年生
汽水空港店内カフェで美味しい珈琲や自家製ドリンクをいただけます☕️
汽水空港小屋ギャラリー / 鳥取県東伯郡湯梨浜町松崎434-18
駐車場: 汽水空港向かいの東郷池側スペース
2023-12-05 17:39:57
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『実験の民主主義』の聞き手を務めた若林恵さんをゲストに「なぜ私たちは民主主義を実感できないのか?現時点、未来においてどのような実験的な民主主義像を描くことができるのか」を語ります。汽水空港が始めた「whole crisis catalog(全人類困りごとカタログ)」の活動も絡めて、地方生活者の政治についても考察します。みんな、ぜってえ来てくれよな!
※whole crisis catalogについてはこちらの動画をご参照下さい→https://www.youtube.com/watch?feature=shared&v=W4_WpXZ1KTo
もしくは汽水空港ブログの記事をお読みください→https://www.kisuikuko.com/app/Blogarticlelist/index/ArticleCatgId/6
日常での役職や肩書を取っ払った1人の人間として「困りごと」を吐露する。目の前の人が困っている状況が現れた時、自分のできることで応答しようとする。そこで問われるのは思想や趣味ではなく、知恵や技術だ。
「whole crisis catalogをつくる(wcc)」という会を開くと、毎回その場所、その瞬間から、その場所で援け合いが起こり始める。トクヴィルが語るアソシエーションとは「人が集まって、自由に援け合う技術を相互に教え合って、共有していくもの」だという。
そして哲学者ジョン・デューイの教育観は「より重要なのは、人々がともに行為し、経験を共有することであった。その意味で、民主主義社会を打ち立てるために、人々が共同して働くための技法を広く教育によって提供していくことが大切である。‐デューイにとって経験とは生涯にわたる学習の過程であった(『民主主義のつくり方』」)というものらしい。
若林恵さんは、映画『アバター』のファンダム(ファン集団)が映画内の架空言語「ナヴィ語」を自発的に研究し、教えあい、助け合い、コミュニティ全体の体験や知識、能力が蓄積されていく事例を語る。
今『実験の民主主義』を読んでますが、読みながら、WCCとは「仮想現実ではなくリアルワールドそのものに対するファンダム」を築こうとする試みであり、思想や趣味によらないアソシエーションを形成しようとする試みであり、自らが自らの為に行う教育の試みでもあるのかと、その可能性に自分で震えております笑 そして重要なのはWCCに参加するのに資格も知識も必要ないということ。必要なのは、その場にいる人の「困りごとに耳を傾ける」ということだけ。そしてそこから、do it yourselfへと、do it with othesへと、行政へのアプローチへと道が拡散していく。
というような話しを、明日11/10(金)、若林恵さんと語り合えたらなあと思っていますのでみんな絶対来てくれよな!
※ご予約はkisuikuko@gmail.comにお願い致します。各種snsのコメント、メッセージは有り過ぎて確認出来なくなってきましたのでよろしくお願い致します〜…!!
2023-11-06 13:00:58
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