"著者 シオドーラ・クローバー 著 , 行方 昭夫 訳
発行 岩波書店
白人の西部開拓に追われ,潜伏生活を送っていた最後のヤヒ族,イシ.20世紀初頭,彼がアメリカ社会にさまよい出たとき,人々は大きな衝撃を受けた.本書は,全滅に追いやられるインディアンたちの物語とその習俗,イシの聡明な精神や自然との深い交感,カリフォルニア博物館に迎えられ,快活な忍耐心で凛々しく生きた彼の最後の数年間を描く.アメリカ西部史の新しい見方を示す名作.
■内容紹介
書名の「イシ」とは,絶滅に追いやられたヤヒ族最後の男の名前です.しかし,本当の名前ではありません.彼は自分の本当の名前は明かそうとしませんでした.ヤヒ族をはじめ,カリフォルニアのインディアンは自分の名前を告げることはまずなく,単刀直入に聞かれても答えることはまずないのだそうです.
彼は白人の迫害から逃れ,山中にひとり隠れ住んでいました.しかし孤独のあまりついに文明社会に姿を現したとき,誰もが彼の名を聞きたがりました.彼の面倒をみ,友人ともなる文化人類学者のアルフレッド・クローバーは,思案の末,「よし,彼をイシと呼ぼう」と名づけました.「イシ」とは彼の話すヤナ語で「人」を意味する言葉でした.そして,彼は本当の名前はついに明かすことなく,イシ(人)として以降の人生を歩むことになったのです.
ファンタジー好きな人はご存知かもしれません.この文化人類学者アルフレッド・クローバーと,著者シオドーラ・クローバーの間に生まれた娘が『ゲド戦記』で有名なファンタジー作家,アーシュラ・ル=グウィンなのです.『ゲド戦記』といえば,真の名を知ることによりそのものを深く捉えた主人公ゲドのことが思い出されます.『イシ』の世界がそのまま『ゲド戦記』に反映しているわけではありませんが,『ゲド戦記』にはさまざまな民族の知恵もちりばめられているようです.なお,両親の仕事,イシの生き方が現代に伝えるメッセージについて,ル=グウィンは1991年同時代ライブラリー版に序文として寄せており,今回もそれを再録しています.
話を『イシ』に戻しましょう.アメリカのインディアンはすべて保留地に押し込められたか,それ以前に虐殺されたかと信じられていた1911年,イシはアメリカ社会に姿を現したのでした.殺されることも覚悟していた彼をまっていたのは,意外にも理解と友情でした.文化人類学者らの友情を得た彼は,カリフォルニアの博物館の一室で暮らすようになります.博物館とはいえ,その成り立ちからして,とても家庭的な雰囲気があったようです.そこで彼は,猟や採取をして暮らしていた当時の自分の生活を語り,そのための道具を作ってみせはじめます.そして彼の家族を襲った苦難についても…….
本書は二部構成で,「第1部 ヤヒ族イシ」ではイシがなぜ潜伏生活を送らねばならなかったのか,白人の西部開拓と先住民族の悲劇の歴史,その中で生を享けたイシの歩みが描かれます.「第2部 ミスター・イシ」では,文明社会に姿を現して以降のイシの生活とその人柄,人類学者らとの交流,故郷再訪の旅などが描かれます.しかし,インディアンを破滅に追いやった一つの要因が,彼らが免疫を持たない文明社会の病いであったと同様,イシも結核にかかり,1916年3月に亡くなったのでした.「あなたは居なさい.ぼくは行く」と言い残して.
『イシ』の原著は,1961年
ISHI IN TWO WORLDS A Biography of the Last Wild Indian in North America としてアメリカで出版されました.大変な反響があり,現在までずっと読み継がれています.
本書はその翻訳で,1970年12月,小社より出版されました.その後,1991年同時代ライブラリーに収録,そしていま,岩波現代文庫の1冊に加わりました.訳者は現代文庫版に寄せ,「寛大で聡明で無限の忍耐心に富むイシの歩みから今日の人間が学ぶものの方が,彼が「文明社会」から学んだ物質的な便宜さより,はるかに多いと思わざるを得ない」と記しています.一人の北米のインディアンの生涯から,あなたはどんなメッセージを受け取るでしょうか.
なお,小社刊行の関連書に,シオドーラ・クローバーが少年少女向けに書きなおした
『イシ――二つの世界に生きたインディアンの物語』,ル=グウィン
『ゲド戦記』シリーズ全5巻があります.
序文――『イシ』再版に寄せて U・K・ル=グウィン
第1部 ヤヒ族イシ
プロローグ 畜殺場のほとり
第1章 黄金の国の銅色の人々
第2章 生きている種族
第3章 死に瀕した種族
第4章 全滅のエピソード
第5章 長い潜伏
第6章 ヤヒ族の消滅
第2部 ミスター・イシ
プロローグ 刑務所のほとり
第7章 イシの新しい世界
第8章 博物館での生活
第9章 器用な人
第10章 最良の年
エピローグ 博物館での死
感謝の言葉 シオドーラ・クローバー
訳者あとがき
現代文庫の読者へ
"版元HPより